東京地方裁判所 昭和38年(行)118号 判決 1968年10月05日
原告 天羽光敏
被告 淀橋税務署長
訴訟代理人 鵜沢晉
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
原告訴訟代理人は、
「被告が原告に対し、昭和三八年一一月三〇日にした昭和三六年度分贈与税金六六二万一〇八〇円及び加算税一六五万五二五〇円の賦課決定は、無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、
被告指定代理人は、本案前の申立てとして、
「本件訴えを却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案については、主文と同旨の判決を求めた。
第二、原告の主張
原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のように述べた。
一、原告は、昭和三六年五月四日、東京都新宿区柏木一丁目一六一番の一、宅地二五六坪九合六勺(以下本件土地という)について、登記原因を訴外天羽富子からの売買とする所有権移転の登記手続をすませたが、被告はこの移転を贈与による所有権の移転と認め、昭和三八年一一月三〇日、原告に対し昭和三六年度贈与税金六六二万一〇〇〇円、加算税金一六五万五二五〇円の賦課処分をした。
二、しかし、右課税処分は、次に述べるような事情により、無効である。即ち、
(一) 訴外天羽富子は、原告と、昭和一八年一一月二〇日に婚姻届をした夫婦で、それ以来、昭和二八年まで、東京都新宿区内に原告と同居していたが、昭和二八年六月二二日、協議離婚し、別れて北海道札幌市へ移つた。その後、同女は、昭和三三年二月一日、東京都荒川区日暮里町に転入し更に同年一二月四日、東京都中野区本町通五丁目に移転し今日に至つているが、その間、原告と同居したことはない。一方、原告は、天羽富子と協議離婚をした後、昭和三〇年一一月、犬伏央子と結婚し、それ以来今日に至るまで、東京都新宿区柏木一丁目一六一番地に同居している。そして住民票には、犬伏央子は、原告の未届妻として記入されているのである。もつとも、原告は、天羽富子と協議離婚をした際、離婚に伴う慰藉料の問題が解決できないまま、法律上の届出が遅れたため、昭和三六年五月四日の、本件土地の所有権移転登記がなされた当時も、なお、戸籍上は天羽富子とは夫婦となつていた。
(二) 本件土地は、もと五四四坪一合八勺の一筆の土地に属していたが、昭和二五年九月四日、分筆の結果現在のとおりになつたものである。原告は、昭和二九年九月一三日、右分筆前の五四四坪一合八勺の土地を、当時の所有者訴外渡辺六郎から、訴外天野玄造と共同で買受けた。その際、所有権移転登記は、当然、原告と天野との共有名義となすべきところ、当時、原告は事業に失敗して、多額の債務を負担し、差押えを受けるおそれがあつたので、原告が取得した分の登記名義については、原告の妻であつた天羽富子の名義を借用することとし、右購入にかかる土地を、天羽富子と天野絹代の両名の共有名義として登記し、ついで昭和二五年九月四日、原告は、天野との間で、右共有地の分割を行ない、原告の取り分たる本件土地の部分につき、前同様、原告名義とはせずに、天羽富子の単独所有名義とした。しかし、もともと右土地は、原告の所有に属するものであつたから、昭和二八年六月、原告と天羽富子とが、協議離婚をした際、富子は、本件土地が原告の所有であることを認め、所有名義を原告に変更することを約束した。尤も、前述のように、離婚に伴う慰藉料の問題もあり、また、原告自身、登記名義を早急に自己名義とする必要もなかつたので、しばらくは、本件土地の所有名義を、富子のままにしておいたが、昭和三六年五月四日に至り、根抵当権設定の必要から、原告は登記名義の変更を司法書士に依頼したところ、司法書士は、便宜的に本件土地の売買を登記原因として、所有権移転登記の申請手続をしたにすぎないのである。
(三) ところで、中野税務署長は、これよりさき、天羽富子に対して、本件土地の名義変更により昭和三六年中に売買による譲渡所得金六〇六万六三四五円があつたものとして、譲渡所得税金二一七万六八三〇円を課したが、これに対し富子が、右の名義の変更は売買ではなく、原告からは全く代金などは受領してはいないと申し出たので、同税務署長は、被告に対して、富子から原告へ、本件土地の贈与が行なわれた疑があると連絡した。そこで被告は、署員である中山誠をして、原告方に赴いて、贈与に関する調査をさせたのであるが、原告はこれに対し、本件土地はもともと原告所有のものであることを告げているのである。それにも拘らず、被告は本件土地の名義変更を贈与と認定して、本件課税に及んだのである。
被告は、原告と富子とが、戸籍上夫婦となつていたことと、登記簿上、本件土地が売買による所有権移転登記手続を経由していることとから、右売買を仮装であると認めたようである。しかし、原告が、昭和二八年六月以降、富子と別居している事実や、昭和三〇年一一月以降、犬伏央子と同棲し、住民票に同女が、未届妻と記載されている事実は、被告側調査官の調査により、被告が知つていた事実、または少なくとも知り得た事実である。してみれば、原告と天羽富子とが、昭和三六年五月四日当時には、事実上の離婚状態にあつたことは、容易に推認されるところである。そして、通常の夫婦間においては、登記名義の変更があれば、これを贈与と推定してもあながち不合理とはいえないであろうが、原告と天羽富子との間のごとく、事実上、離婚状態にある夫婦間の登記名義の変更のごとき場合においては、これを直ちに贈与と認定することは、社会常識に反するばかりでなく、贈与者であるとされた天羽富子は、無職、無財産であり、全く担税力もなく、かような者が時価金一五〇〇万円以上もする本件土地を、無償で原告に贈与するがごときことは、経験則上も考えられないところである。また登記原因が売買となつていても、真正なる権利者のための名義回復の便宜的措置としてなされたのであるから、真正所有者に対する回復登記ではないということはできない。なお公簿上売買となつているのを贈与と認定するには慎重なる調査をなし、確固たる心証を得てすべきものである。要するに、以上のような事実関係を前提とするならば、課税当局たる被告側としては、少なくとも、
(1) 天羽富子は、本件土地を買入れ、もつて所有者となる資力乃至は経済力を具備していたかどうか。
(2) 所有名義人であつた天羽富子が、本件土地を所有せず、原告と別居し、一方、原告が、本件土地の上に建物を所有して居住しているが、かかる事実は、原告が実質上の所有者であり、富子は単なる名義人にすぎないものであることを示すのではないのか。
(3) 本件土地の固定資産税の納付告知書は、富子の住所宛に送られているか、それとも原告の住所宛に送られているか。本件土地の維持管理費は、原告が負担しているか、それとも富子が負担しているか。
の諸点について調査をすれば、原告が実質上の所有者であり、富子は単に名義人にすぎないものであることが、容易に知り得たにも拘らず、かかる調査義務を尽くさず、戸籍上の夫婦間の名義の変更であるとの一事をとらえ、真偽不明のまま本件課税処分に及んだものである。しかも前記のとおり、中野税務署長は富子より原告に対する本件土地の所有権移転を売買と認定して、富子に対し昭和三六年分譲渡所得税を賦課し、これを取消さない間に、被告は同一事案を贈与と認定して原告に対し本件贈与税を賦課したものであつて、このことは極めて不当であり、処分を無効ならしめるものというべきである。この点について被告は昭和三九年六月一日富子に対する譲渡所得税の減額更正の決定をし、旧所得税法第五条の二により課税したと主張するが、富子に対して、かかる更正決定がなされたことはなく、かりに更正決定がなされたとしても、それは本件贈与税の賦課処分後になされたものである。
被告の本件賦課処分は、右のようなかしを帯び、また単なる所有名義の回復にとどまつてなんら収益を亨受しない者に対して課税するという点において実質課税の原則にも反するかしがあるものというべく、以上のかしは重大かつ明白なものであるから、本件処分は無効である。
(四) かりに本件名義変更により、富子から原告に対して贈与が行なわれたものと認められることが、やむをえないものであつて処分の無効原因とならないとしても、贈与税の課税標準額は、被告主張の課税標準額の八割を減じた額に当るのであつて、本件課税処分は、その課税標準額の算定につき事実の誤認があり、右誤認は重大かつ、明白なかしあるものとして、無効というべきである。即ち、本件課税処分当時には、本件土地には、次のように、原告及び訴外犬伏央子の建物が存在していた。
(イ) 昭和二五年一一月二二日、本件土地上に、原告名義をもつて、木造杉皮葺平家建居宅一三・五坪及び木造瓦葺平家建工場一六・五坪が建築され、かつ登記を経由している。
(ロ) 昭和三〇年八月三〇日、本件土地上に犬伏央子名義をもつて、木造瓦葺平家建居宅二五・一四坪が建築されている。
(ハ) 昭和三五年一〇月二〇日、同じく犬伏央子名義をもつて、木造瓦葺二階建共同住宅が建築されている。
(ニ) 昭和三六年八月一五日、同じく犬伏央子名義をもつて木造亜鉛メツキ鋼板葺三階建店舗兼共同住宅が建築されている。
右のような事実関係の下においては、「特殊関係のある者間において、無償または無利子で土地、家屋、金銭等の貸与があつた場合には、法第九条に規定する利益を受けた場合に該当するものとして取り扱うものとする。」との相続税法基本通達(昭和三〇年一月二八日)によつて、原告は、右建築当時、贈与税が課せらるべきであつたが、その当時課税された形跡はない。それはともかくとして、本件課税処分に際しては、原告及び犬伏央子の本件土地の使用状況を考慮して、課税標準額を決定すべきものであつて、当時施行されていた財産評価通達第三四条によれば、「地上権及び借地権の目的となつている宅地の価額は、第二六条により評価した価額から地上権又は借地権の価額を控除した金額によつて評価する。」(昭和二七直資一―五二追加)となつており、その後の「宅地の評価について」と題する通達(昭和三〇年一月三〇日直資四三)によれば、「借地権の設定されている価額は、右の定め(需要地の価額のことをいう)によつて計算した価額から、当該宅地にかかる借地権の価額を控除した額によつて評価する。」となつており、これらの一連の通達によれば、原告及び犬伏央子の本件土地の借地権相当額を控除すべきものである。そして、原告らの右借地権価額は、土地の所在場所からすれば更地価額の八割をもつて相当とする。そうすると、被告はその課税標準額を、二割とすべきであるのに、更地価額の一〇割をもつて課税してきたものであり、一〇割と二割とでは、その差は余りにも大きく、右の事実の誤認は、重大かつ明白なかしとして、無効というべきである。
第三、被告の主張
被告指定代理人は、本案前の主張として、
「原告は、被告が、昭和三八年一一月三〇日付をもつて、原告に対してなした、昭和三六年分贈与税の課税処分の無効確認を求めているけれども、右処分の効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて充分その目的を達することができるから、行政事件訴訟法第三六条にてらし、本訴は不適法であつて却下を免れない。」
と述べ、
本案の答弁として、
「一、請求原因事実中第一項の事実は認める。
二、同第二項の事実については、
(一)の事実につき、原告と訴外天羽富子とが昭和一八年一一月二〇日に婚姻したこと、本件土地について所有権移転登記がなされた昭和三六年五月四日当時、原告と富子とは、戸籍上夫婦ではあつたが互に別居中であつたことは、いずれも認める。原告と富子とが昭和二八年六月二二日、協議により離婚したとの事実は否認する。その余の事実は、すべて争う。なお、犬伏央子は、現在の住民票には、世帯主との続柄は、単に「同居」とのみ記載されている。
(二)の事実につき、原告主張のとおり、登記簿上、天羽富子が天野絹代と共同して、渡辺六郎から、本件土地に分割される以前の五四四坪一合八勺の土地の所有権を取得し、その後共有物分割により本件土地の単独の所有権者となり、更に昭和三六年五月四日、原告に対して売買により所有権を移転した旨の各登記がなされていることは、いずれも認めるが、その余はすべて争う。
(三)、(四)の事実は、すべて争う。」
と述べ、
被告の主張として、次のように述べた。
一、本件は、原告が昭和三六年五月四日、訴外天羽富子から本件土地の所有権移転登記を受けたことから税務調査を行なつた結果、富子は昭和二三年六月一〇日、売買により天野絹代とともに訴外渡辺六郎より本件土地に分割される前の五四四坪一合八勺の土地の所有権を取得し、更に昭和二五年九月四日、共有物分割により単独で本件土地部分の所有権を取得した旨の登記があり、そのまま一〇数年を経て、富子から原告へ本件所有権移転の登記がなされ、その原因は売買となつていることが明らかとなつた。ところで原告と富子との間には婚姻関係があり、かつ、被告が富子について調査した結果、原告と富子との間には、右所有権の移転についてなんら対価の授受が行なわれていないことが判明した。更に被告は原告についても調査したが、原告は、本件土地が本来原告の所有であつたが富子と離婚したので原告に所有名義でなおしたにすぎないとか、原告と富子とは夫婦でないと主張するので、その主張を明らかにする資料の提出を要請したが、原告の主張はあいまいであるのみならず、客観的な証拠による反証はなんら存しなかつた。そこで、被告は、以上の諸事情に基づいて本件土地の所有権移転を贈与によるものと認定し本件贈与税を賦課したものであつて、事実誤認のかしはない。
二、のみならず、本件は贈与税の課税に関する次の一般的取扱いの点からみても、なんらとがむべきかしは存しない。即ち、
(一) 国税庁長官から国税局長宛の「名義変更等が行なわれた後に、その取消し等があつた場合の贈与税の取扱について」と題する通達(昭和三九年五月二三日直審(資)二二、直資六八(例規))の記載によれば、「(趣旨)」として、先ず「贈与が行なわれたことの事実の認識については、贈与の性質および贈与が多く親族間等の特別関係がある者相互間で行なわれることが多いことなどから、かなりの困難をともなうことが多い。このため、不動産の所有権移転登記などの財産の名義変更が行なわれた場合において、対価の支払がないとき、または、他人名義により財産の取得が行なわれた場合においては、一般的には、名義人となつた者が、当該財産またはその取得資金を贈与により取得したものと推定することに取扱うこととしている。」とある。
しかし、「財産の名義変更または他人名義による財産の取得が行なわれた場合においても、それが贈与の意思に基づくものでなく、他の、やむを得ない理由に基づいて行なわれる場合、またはこれらの行為が権利者の錯誤に基づいて行なわれた場合等においては、その例外となる。」この場合を、右の一般的の取扱いによることは、適当でないが、右の例外の場合に果してあたるかどうかの判断を、税務職員が行なうことは、かなりの困難がともなう。そこで、この通達は、かかる場合の判断を、税務職員が主観的な恣意に流れることなく行なうことができるように、前記に続いて、
「財産の名義変更または他人名義による財産の取得があつた場合において、これらの行為が、贈与の意思に基づかないで、または錯誤により行なわれたかどうかの判断については、財産の権利者の表示を明らかにすることもあわせ考え、財産の名義人とその権利者とを一致させることによることとする。」
とし、名義変更が行なわれた場合において、対価の支払がないとき、または他人名義による財産の取得があつた場合において、これを贈与でないと判断する場合は、原則として、財産の名義人とその権利者とを一致させた場合(登記ある物件についてこれをいえば、登記名義を権利者と一致させるよう更正等の変更の登記手続を経た場合という趣旨と解される)としているのである。
この通達は、右の前提に立つて、更に、種々の場合につき、具体的、かつ詳細に取扱い方を定めている。即ち、
「他人名義により不動産………の取得………等が行なわれたことが、法令に基づく所有の制限その他これに準ずる真にやむをえない理由に基づいて行なわれたものである場合においては、その名義人となつた者との合意により名義を借用したものであり、かつ、その事実が確認できる場合に限り、これらの財産については、贈与がなかつたとして取扱うことができる。」と、財産の名義人と権利者とを一致させない場合においても、贈与がなかつたものとして取扱うことができるところの、更に例外の場合を定めているのである。
しかして、右の通達にいわゆる「その他これに準ずる真にやむをえない理由に基づいて行なわれたものである場合」について、更に、国税庁長官の国税局長宛「『名義変更が行なわれた後にその取消等があつた場合の贈与税の取扱について』通達の運用について」と題する通達(昭和三九年七月一四日直審(資)三四、直資一〇三(例規))は、「(虚偽表示により名義変更等が行なわれたことにつき、やむをえない事由がある場合)」として、「その他これに準ずる真にやむをえない理由に基づいて行なわれたものである場合」とは、「当該名義変更等にかかる不動産、船舶、自動車または有価証券の、従前の名義人等について、債権者の内容証明等による督促または支払命令等があつた後に、その者の有する財産の全部または大部分の名義を他人名義としている事実があることなどにより、これらの財産の名義変更等が、強制執行その他の強制換価手続を免れるため行なわれたと認められ、かつ、その行為をすることにつき更にやむをえない事情(たとえば、これらの財産を失うときは、通常の生活に重大な支障をきたす等の事情)がある場合(配偶者、三親等内の血族及び三親等内の姻族の名義とした場合を除く)」であるとしているのであるが、なお右の「真にやむをえない理由に基づいて行なわれた場合」であつても、それが「配偶者又は三親等内の血族及び三親等内の姻族の名義」とされた場合には、「贈与がなかつたものとして取扱うこと」はできないと特に定めているのである。
(二) 右一連の通達は、不動産の所有権移転登記などの、財産の名義変更が行なわれた場合において、対価の支払がないときにおいては、税務職員は、
(イ) 一般的には、これを、名義人となつた者が当該財産又はその取得資金を贈与により取得したものと推定することに取扱う。
(ロ) かかる場合においても、もし、その名義変更が、贈与の意思に基づくものでなく、他の、やむをえない理由に基づいて行なわれたような場合等において、これを贈与でないと判断するには、その財産につき、公示制度のある場合には、その名義人と権利者とを一致させる手続をとらせる(このことは不動産登記制度の如き公示制度の建前からも、望ましいことであり、当事者双方が納得の上であれば、更正手続は、さして面倒な手続ではない筈である)。
(ハ) しかし、法令に基づく所有の制限その他これに準ずる真にやむをえない理由に基づいて、他人名義による不動産の取得等が行なわれたものである場合においては、その名義人となつた者との合意により名義を借用したものであり、かつ、その事実が確認できる場合に限り、右(ロ)の名義人と権利者とを一致させる手続がなくとも、その財産について贈与がなかつたものとして取扱うことができる。
(ニ) 右(ハ)の場合においても、それが配偶者、三親等内の血族又は姻族の名義とした場合には、贈与がなかつたものとして取扱うことはできない。
としているのである。
しかして、右一連の通達は、現行制度における人的、物的及び時間的制約のもとにおいて、税務職員が、事実の認定において、主観的恣意に陥らず、公平妥当な課税を行なうことができるよう、課税実務の永年にわたる豊富な経験に基づき、贈与税についての取扱い方を定めたものであり、税務職員は、実務上、かかる取扱いによるべきことが、本件贈与税課税当時はもとより、それ以前から要請されていたのであつて、右通達は、何れもこれを通達として成文化したものにほかならず、この通達を無視して、本件事案を正当に判断することはできない。そして、本件贈与税の課税処分は、右通達の趣旨に沿つたものであつて、適法有効であることが明らかである。
三、かりに、本件土地が、原告主張のように、本来原告の所有であつたとしても、本件課税処分には、処分の外形上、客観的に、誤認が一見看取し得るような明白なかしはなんら存在しないから、右処分が無効であるとの原告主張は理由がない。
およそ、行政処分のかしが明白であるかどうかの判定は、処分の外形上、客観的に、誤謬が一見看取し得るものであるかどうかにより決すべきであつて、行政庁が怠慢により、調査すべき資料を見落したかどうかは、処分の外形上、客観的に明白なかしがあるかどうかの判定に、直接関係を有するものでないこと、及び行政処分のかしが、客観的に明白であるということは、処分関係人の知、不知とは無関係に、また、権限ある国家機関の判定をまつまでもなく、何人の判断によつても、ほぼ同一の結論に到達しうる程度に明らかであることを指すものと解すべきであることは、既に、判例の確定するところである。(昭和三六年(ウ)第一三二〇号、昭和三八年一二月二六日第一小法廷判決、昭和三四年(オ)第一一八七号、昭和三六年三月二八日第三小法廷判決、昭和三六年(オ)第八〇四号、昭和三七年七月五日第一小法廷判決)。本件は、前記のとおり、原告が登記及び戸籍の記載と異なる権利関係を申立てながら、単なる申立てのみで、その申立てを裏付ける資料を提出しない事案であつて、被告としては、原告のいうことをどの程度信用するかによつて本件処分を決するより方法はなかつたものである。即ち、以下に述べるように、本件課税には、何人がみても外見上、客観的に、一見看取しうる如き誤認はなく、従つて明白なかしは存在しないのである。
四、本件贈与税を課税するに至つた具体的経緯は、次のとおりである。
(一) 被告は、前記のとおり、登記資料(東京法務局新宿出張所において調査)により、本件土地について、昭和三六年二月二四日売買を原因として、天羽富子から原告に対し、所有権移転登記がなされている事実を知つた。
(二) そこで、担当係官(資産税係)において、準備調査の結果、原告は、昭和三五年度より同三八年度まで一回も所得税についての申告がなく、また、住民税についても同様申告がなく、年額僅か金四九〇〇円程度の認定額が課税されているに過ぎず(新宿区役所新宿特別出張所において調査)、従つて、この面からは、原告には到底本件土地購入の資力のないことが推測された。
(三) 担当係官は、そこで更に原告に面接調査をするため、来署を誘うたところ、代理人藤本某が来署し、同人より、本件土地は、元来原告の所有であつて、原告が昭和二三年頃、富子名義にしていたのを、昭和三六年、原告名義に変更したものであるとの申立てがあつたので、担当係官は、それでは、そのことを説明できる資料を持参するようにと告げたが、資料の提出はなされなかつた。なお、その際、藤本某は、富子が原告の妻であることを当然のこととして、これを否定しなかつた。
(四) よつて、担当係官は、更に、原告自身に面接するため、原告方へ出向いたが、原告からも前記藤本某と同様のことをいわれ、そのことを証明する書類を弁護士に依頼してあるから持参するとのことであつたので、担当係官は、その書類の提出を要請し、かつ、税務署側の、本件移転登記を贈与によるものと見る見解をも、一応説明した。その後、原告に対し、書類の提出を催告したが、その提出はなかつた。
(五) このように、登記簿の記載と、本人の主張する実体とが異なる場合には、登記簿の記載に対する反証は、本人が行なうべきである。ことに、本件において、当初、本件土地を富子名義にしたのは、原告が、自己の債務を免れんとして、自己の便宜上、事実を隠蔽して登記をしたというのであれば、第三者の判断を誤らせるためにやつたのであつて、当事者以外の者が、その登記によつて判断を誤つたとしても、それは当然のことである。被告としては、客観的な反証がなければ、登記簿により、所有権の移転があつたと断ぜざるをえない。単なる申立て等で、登記の推定力を覆えすことはできない。
(六) このような場合、もとより被告は、登記の推定力のみによらず、反証の提出を求めるとともに、その裏付け調査を行なうが、日時の経過している場合には、調査は困難を極める。本件の如く、戸籍上の夫婦間に行なわれたものであり、かつ、当初の買入れより既に一〇数年を経過し、通常の観念からみて売買当時の調査が困難な場合には、本人より明確な証拠の提出がない限り、登記簿の記載等表見の事実により認定し、課税せざるをえない。
(七) 調査は、本人に有利な立証を行なう機会を与え、また、立証を行なうよう努めさせるため、本人面接をも行なうのであつて、本件においても、本人調査の直後には、決定を行なわなかつたのである。しかし、決定処分には、徒らな時日の経過は許されない。税法には、除斥期間の定めがある。調査にも自ら時間的限界がある。処分の徒らな時日の経過は、課税の時期を失することになり、ひいては負担の公平にもとるので、課税処分をすることになる。
(八) 課税処理には、係官の恣意があつてはならず、確認し得る反証がなければ、不動産登記簿の記載の推定力によることとなる。もし、客観的に肯認し得る事実なくして課税を回避するとすれば、係官により更正又は決定が濫りに行なわれ、適正な税務の執行を期待することはできないこととなる。本件の場合、もし、原告の述べるように、本件土地が、本来、原告のものであり、富子のものでないとすれば、原告が、自己の所有名義とする前に、かりに、相続が開始すれば、富子は妻として相続税を容易に免れることとなろう。また、もし、自己の単なる都合により、妻名義で不動産を買い、調査に際し、「贈与でない」旨申立て、除斥期間経過後、「妻名義で買入れた時に妻に贈与したものである」との証拠を示せば、贈与の課税を容易に免れることとなろう。このようにすれば、贈与の意思があり、かつ、登記はしたが、調査に際しては否認することが横行し、脱税が行なわれることとなろう。
(九) 本件土地は、当初の登記により、既に十数年を、妻富子の名義をもつて経過し、加うるに別居していたとするも、なお戸籍上の妻富子の名義としていたのであるから、その処分権は、妻にあるとみられるのであつて、この不動産について、所有権移転登記がなされた場合には、それまでは真実妻のものであつたとみるが当然であり、妻から夫に対する贈与と認定した本件課税処分には、何等明白なかしはない。
(一〇) 被告は、本件の関連事案として、富子に対し、譲渡所得税を課した中野税務署について調査したが、この課税に対し、富子より異議申立てがなされなかつたことが判明した。この点からも贈与があつたと認められた。
(一一) なお、原告は、富子から原告に対して、本件土地所有権移転登記がされた事情について、原告は、富子とは既に協議離婚し、訴外犬伏央子と事実上婚姻し、富子とは住所を異にしていたと強調しているが、かりに富子との離婚及び住所を異にする事実並びに犬伏央子との事実上の婚姻の事実が真実であつたとしても、それをもつて直ちに、本件土地の所有権移転の原因が贈与ではないとか、あるいは、本件土地の所有権が、もともと原告にあるとかいうことになるものではないことは、極めて明らかである。(他人間においても、また、夫婦の離婚に際しても、贈与は通常あり得ることである。)
況んや、本件課税当時においては、富子は、戸籍上、原告の妻と記載されており、また、被告側担当官がこの点に関し、新宿区柏木特別出張所において調査した際には、犬伏央子は、住民票上、原告の主張するような「末届の妻」などとは記載されておらず、原告との続柄は、単に「同居」となつていたにすぎないのである。(かりに、犬伏央子が原告の「未届の妻」又は「妻(未届)」と記載されていたとするも、原告に富子という法律上の妻がある以上、犬伏央子の「未届の妻」又は「妻(未届)」との記載は、戸籍と照合して、抹消訂正さるべきものであつて、住民票上「妻(未届)」と記載するのは、他に法律上の妻のない内縁の妻の場合に限られているのである。)
五、本件課税の経過は、以上のとおりである。本件において、本件土地の所有関係が、かりに、原告主張のとおりであるとすれば、原告は、自己の利益のために真実を隠蔽して登記をしたものというべく、しかも自ら登記簿の記載と相違する申立てをしながら、その申立ての裏付けとなる何等の具体的資料の提出もしなかつた。かかる場合においては、単なる申立ては、必ずしも信頼し難く、本件の如き複雑、かつ、年月を経過した場合、相当に高度の調査を行なつても、現行制度のもとにおいて、単なる申立てについて、心証を得ることは、困難である。原告は、原告が富子より贈与を受けたものとして、本件課税の決定がなされたのに対して、異議の申立ても行なわず、原告の主張する趣旨に登記の変更も行なわず、また、富子との間の権利関係を明らかにする裁判上の手続も行なつていないのである。(原告は、富子と協議離婚したので、所有権移転登記をしたといいながら、協議離婚の届出がなされたのは本訴係属後の昭和三九年一〇月一二日であり、原告の本籍地新宿区から中野区へ富子の転籍届がされたのは、昭和四〇年二月二六日である。このことからしても、本件課税の当時においては、単に、原告と富子とが住所を異にしていたもので、両名は、本件土地の所有権移転登記当時、夫婦であるとみるのは、当然である。)
なお、原告は、中野税務署長が富子に対して売買による譲渡所得税を課しながら、他方において被告が原告に対し本件贈与税を課したのは誤りであつて本件賦課処分は無効であると主張している。しかし富子より原告に対し本件土地所有権移転登記がなされた昭和三六年当時の所得税法においては、贈与による資産の移転があつた場合には同法第五条の二第一項において時価による譲渡があつたものとみなして譲渡所得税を課することとされていたのであつて(なお同条第三項はその後に追加された規定である。)、富子に対しては譲渡所得税を、原告に対しては贈与税を、それぞれ賦課することは、法律上当然のことであり、本件課税処分にはなんらのかしも存在しないので原告の右主張は理由がない。なお、中野税務署長は昭和三七年一一月二八日富子に対し、譲渡所得金額を一二二八万三、六九〇円、譲渡所得の課税金額を六〇六万六、三四五円、税額を二一七万六、八三〇円と決定したが、譲渡の相手方たる原告につき淀橋税務署において調査の結果、対価の支払がないので贈与として原告に対し本件課税をした被告の処分を相当と認め、これと同一の認定のもとに、昭和三九年六月一日富子に対し、譲渡所得金額を一二二〇万五、六〇二円と減額し、譲渡所得の課税金額を六〇二万七、八〇一円、税額を二一五万九、五一〇円として減額更正の決定をして課税したものであつて、右中野税務署長の右課税は原告に対し有効になされた本件課税処分の効力になんら影響を及ぼすものではない。
以上のような事実関係のもとにおいては、本件課税処分には、これを無効ならしめる重大かつ明白なかしは存在しないものというべきであつて、原告の主張は結局理由がないものというべきである。
第四、証拠関係<省略>
理由
第一、本案前の申立てについて、
被告は、本件訴えは、被告が昭和三八年一一月三〇日付をもつて、原告に対してした、昭和三六年分の贈与税の課税処分の無効確認を求めるものであるが、この訴えの目的は、右処分の効力のないことを前提とする現在の法律関係の確認の訴えによつて、充分に達することができるから、本件訴えは、行政事件訴訟法第三六条にてらし、不適法であると主張する。しかし、本件弁論の全趣旨によれば、本件課税処分に対しては、いまだ税金が完納されておらず、その後続処分としての滞納処分も完了していない状況にあり、もし右の滞納処分が続行される場合には、原告が損害を受けるおそれがあることは、明らかなのであるから、原告は、本件訴えについて原告適格を有するものというべきであり、被告の本案前の申立ては、失当である。
第二、本案について、
一、昭和三六年五月四日、その当時まで天羽富子の名義で所有権の登記のなされていた新宿区柏木町一丁目の本件土地につき、同日、原告名義に、売買を原因とする所有権移転登記手続がなされたこと、被告は、昭和三八年一一月三〇日、原告が右の登記簿記載の昭和三六年中富子から本件土地の贈与により所有権を取得したものとして、原告に対し、昭和三六年分の贈与税金六六二万一〇〇〇円、加算税金一六五万五二五〇円を賦課したこと、原告と天羽富子とは、昭和一八年一一月二〇日結婚した夫婦であるが、本件土地について、所有権移転登記がなされた前記昭和三六年五月四日当時においては、別居していたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二、原告は、本件土地は、もともと原告の所有であつて、天羽富子は、単なる名義人にすぎず、従つて昭和三六年五月四日の所有権移転登記は、何ら実体的な権利の変動を示しているものではなく、また、この事実は、容易に発見しうるものであつたにも拘らず、被告において、この事実を誤認し、権利の変動があつたものとして課税処分に及んだものであつて、右処分は重大、かつ明白なかしを有するものであると主張するので、この点について判断する。
成立に争いのない甲第二号証の一、二、第三号証、第五号証、乙第二号証、証人渡辺道次郎の証言によつて真正に成立したと認められる甲第八号証、証人松永富子(第一、二回)藤本久一、渡辺道次郎の各証言、原告本人尋問(第一、二回)の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件土地は、もと渡辺六郎所有の五四四坪一合八勺の土地の一部であつて、原告は、同人より右土地を賃借し、同地上にバラツクを建てて居住していた。
昭和二二年頃、原告は渡辺から、右土地を買うか明渡すかして貰いたいと交渉をうけ、これを買うことを承諾した。なお、同地上の他の一部には、天野絹代が賃借して建てた住宅があり、同人も原告と共同して、渡辺より右土地全部を買うこととなつた。ところが、所有権移転登記手続をする段階で、原告は、その頃経営していた電気工事の請負に関する債務が多く、右土地を原告名義で取得すると、債権者から差押えを受けるおそれがあつたので、当時、原告の妻であつた天羽富子の名前を借りることとし、結局、登記所に対しては、天野絹代と天羽富子とが共同で右土地を買受け取得したように申請し、その旨登記した。ついで、昭和二五年九月四日、金融を受ける便宜から、右土地につき共有物分割の手続をなし、これを本件土地の部分とその余の部分とに分ち、本件土地の部分(二五六坪九合六勺)を天羽富子の単独所有名義としたが(このような登記簿上の記載があることについては、当事者間に争がない。)、この場合もまた、本来原告の所有名義とすべきものを、差押えを避ける目的から富子名義としたものであつた。なお、原告は、以上のごとく富子名義を借用するについて、前もつて富子と相談したり、了解を求めて行なつたことは一度もなく、常に原告の一存で一切を処理していた。
ところで、天羽富子は、もとは原告の兄天羽信次の内縁の妻であつて、昭和三年頃、信次と事実上の結婚をなし、同人との間に二児を儲けていたが、信次が昭和一〇年に死亡するに及び、富子は、右二人の連れ子と共に昭和一三年頃から原告と同棲し、昭和一八年一一月二九日、婚姻の届出をし、終戦後は、新宿区柏木の本件土地に建てられた前記バラツクに原告と共に居住していた。そして、原告の家庭は、その頃、原告の働きによつて生活の資を得ていたもので、富子は、その間、別段職につくようなことはせず、通常の家庭の主婦として、家事を切りまわしていた。また、富子の特有財産としては、目ぼしいものは、何もなかつた。
その後連れ子の慶一が成長するにつれ、(なおもう一人の連れ子はその頃死亡した)原告と同人との間が円満を欠き、これが家庭全体の不和を招くようになつて、ついに昭和二八年六月頃、原告と富子とは協議の末、離婚することとし、富子は連れ子と共に原告の許を去り、北海道札幌へと移つた。その際、富子は、離婚届に所定の印を押したものを原告に託したが、実際には右の離婚届書は、区役所には提出されることなく終つた。なお、その後一〇年余を経た昭和三九年一〇月二二日(本訴提起後)に、離婚届がなされている。
富子は、札幌に移つてから約五年後の昭和三三年二月一日、再び上京し、東京都荒川区日暮里町八丁目二一四番地に移り、さらに、同年一二月四日、同所から中野区本町通り五丁目一〇番地有野方へと移つて今日に及んでいるが、その間、再び原告と同居したり、原告方を訪れたりするようなことはなかつた。
一方、原告は、富子と別れた後、昭和三〇年頃から犬伏央子を事実上の妻として迎え、同居させた。なお、央子は、住民票には、昭和三〇年一一月頃から昭和三九年三月三〇日までは、未届の妻(甲第三号証)として記載されていた。(もつとも、乙第二号証(新宿区長の昭和三九年四月二八日付作成の住民票謄本)によると、央子は同日現在単に同居として住民票の原本に表示されているが、同号証は更正、消除された事項の記載を省略しているので、住民票の記載を右のように認めるさまたげとならない。)
その後、原告は、本件土地を富子名義にしておくと、抵当権設定等の手続に際し、印鑑証明書等の書類をとる上にも不便であり、銀行側からの要求もあつて、これを原告名義に戻すこととし、その手続を取引銀行の係員に依頼したところ、係員は、昭和三六年五月四日、売買の形式をもつて、本件土地の所有名義を富子より原告へと戻したのである。かくして、右の名義変更が端緒となり、本件課税がなされるに至つたものである。
以上の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
右の事実によると、本件土地は昭和二三年九月一三日以降今日に至るまで原告の所有であり、ただ登記簿上で天羽富子の名義を使用していたにすぎないこと、従つて昭和三六年五月四日の登記による本件所有権の移転は、実質的な所有者への名義の回復をしたものに他ならず、なんら実体上の権利の変動を伴つてはいないものであるということができる。してみれば、本件課税処分は、権利の変動がないのに拘らず、これありと誤認してなされたものであり、右誤認がないとすれば、本件処分はなされなかつた関係に立つものであるから、右の誤認は重大なかしに該当するといわなければならない。
三、次に、右の誤認が明白なかしに当るかどうかについて考えると、この点について、(1)被告側係官である中山誠の調査に対し、原告が、本件土地は原告の所有に属する旨告げていること、(2)原告と富子とは戸籍上は夫婦となつてはいるが、昭和二八年六月以降は別居し、事実上の離婚状態にあり、また一方、原告は、昭和三〇年一一月以降は、犬伏央子と同居し、住民票には、同女が未届妻として表示されているが、これらの事実は、被告側において知り又は知りうべきものであつたこと、(3)贈与の認定は登記簿上の明らかな記載(売買)に反しているばかりでなく、中野税務署長は富子に対して本件土地所有権移転を売買と認定して昭和三六年分譲渡所得税を賦課していること、(4)従つて、被告側としては、それだけに、さらに(イ)富子の経済力(ロ)本件土地の事実上の使用状況(ハ)本件土地の維持管理費の実質上の負担者等の点について、なお調査するのが当然であり、かかる調査をしさえすれば、富子から原告に本件土地を贈与するがごときは、およそ経験上も考えられないこと、また本件土地が既に昭和二三年当時から原告の所有に属していたものであることを、被告において容易に知ることができたのに拘らず、右調査の義務を尽くさず、ただ慢然として本件処分に及んだものであるから、本件誤認のかしは、明白であると主張する。
しかし、本件のごとき、行政処分の要件の存在を肯定する処分庁の認定にかしがある場合、その処分が無効であるとするためには、そのかしが重大、かつ客観的に明白でなければならず、行政処分のかしが、客観的に明白であるということは、処分関係人の知、不知とは無関係に、かつ、権限ある国家機関の判定をまつまでもなく、何人の判断によつても、ほぼ同一の結論に到達しうる程度に明らかであることを指すものと解するのが相当である。そして、この見解によると、本件誤認のかしが明白であるか否かは、被告側において、より詳細な調査を行なつたとしたならば、判明したであろうような事情(それが被告側の怠慢によつて明らかとされなかつた場合であると否とを問わず)をも基礎として判断すべきではなく、権限ある国家機関の判断をまつまでもなく、何人が認定してもほぼ同一の結論に到達しうる程度に明らかな処分当時の事情にもとづき判断すべきこととなるものと解すべきである。
ところで、成立につき争いのない乙第八号証、第九号証の一、二、第一〇乃至第一八号証、証人中山誠(第一、二回)の証言を総合すると、本件課税処分の経過は次のとおりであつたことが認められる。即ち、まず、天羽富子に対する中野税務署の調査の経過を見ると、
(1) 昭和三六年一二月初め、中野税務署係官坂野某は、東京法務局新宿出張所から、同税務署宛本件土地につき、同年五月四日付で、前記のごとき登記名義の変更があつた旨の通知がなされていたので、この件を調査するため、天羽富子に対し、一二月一三日に来署されたい旨の呼出状を発送したが、宛名として、中野区本町通り五―一〇とのみ記載し、「有野方」なる肩書の記載を欠いたため、右の呼出状は宛所不明として返戻された。
(2) その後、富子が有野方に居住している事実が判明し、中野税務署は、昭和三七年九月一一日に出署を求める旨の呼出状を発送した。右呼出状は返戻されなかつたが、富子は来署しなかつた。
(3) そこで中野税務署長は、同年一〇月一〇日、富子に対し、「譲渡所得金額のお知らせ」なる標題の下に、本件名義変更について、譲渡所得として金一二二万二六九〇円の所得があつたものと認定した旨の通知をして、所得税の申告をするように促した。
(4) 同月一四日、はじめて同人より中野税務署に対して電話が掛けられたが、結局申告はなされなかつた。そこで同年一一月二八日、中野税務署長は、富子に対し、売買による所得ありとして、その所得額六〇六万六三四五円、本税額二一七万六八三〇円、無申告加算税五四万四〇〇〇円と決定処分を行なつた。
(5) 中野税務署では昭和三七年一〇月二八日徴収決定を行ない、同年一二月二八日付をもつて納付催告書を発送し、昭和三八年二月一二日富子方において動産差押処分を行なつたが、富子の生活程度は外観上余裕はないことが認められ、同月一四日富子の代理人松井一司より中野税務署に対して富子の離婚訴訟について依頼を受けているが、買主は夫である原告であること、原告は何ら慰藉料を支払わず、売買代金など一切貰つていないとの電話があつた。
その後、昭和三八年四月二七日、中野税務署徴収課より、同署所得税課に対して「賦課交渉箋」をもつて連絡があり、天羽富子と原告とは戸籍上では夫婦であり、課税物件の異動に関しては、売買の事実はなく、親族間の贈与であるから、贈与税を課すべきであるとして、課税換の交渉がなされた。なお、その際富子が無職、無財産であつて全く担税力のないことが臨場調査によつて判明した。
(6) そこで中野税務署は、調査のため昭和三八年六月二一日並びに同年九月二二日に、富子に対し呼出状を発して来署を求めたところ、後者の呼出しに対して富子より同年九月二八日付の葉書をもつて同年一〇月一〇日頃、代理人として経理係の者が出頭するとの回答がなされた。
(7) 同年一〇月一五日、原告の雇人である藤本久一が、松井某と同道して、富子の課税についての説明のために、中野税務署に来署し、本件土地は、元来、原告の所有に属するものであつて、天羽富子は単なる名義上の所有者にすぎず、今回はそれを本来の所有名義に戻したものである旨を述べた。
(8) その後、昭和三八年一一月一二日、淀橋税務署長が原告に対し本件名義書換を贈与と認め、評価額一二七七万九一二円による贈与税の決定をなし、この旨中野税務署に対して通知したので、中野税務署長は、富子に対し、昭和三九年六月一日、従前(昭和三七年一一月二八日)なした課税決定額を譲渡所得六〇二万七八〇一円、本税二一五万九五一〇円、無申告加算税五三万九七五〇円とそれぞれ減額更正した。
以上のような経過であり、一方、原告に対する淀橋税務署の調査の経過は、次のごときものであつた。即ち、
(1) 昭和三八年一〇月頃、淀橋税務署所得税課では、相続税、贈与税等の未済事案を一掃するための期間が定められ、この期間中に同課の係員である中山誠は、それまで停滞していた原告に関する本件事案を受持つに至つた。
(2) 右に関聯して中山誠が最初に受領した資料は、東京法務局新宿出張所の登記資料箋であつて、本件土地につき、昭和三六年五月四日付で、それまでの所有名義人天羽富子から原告へ、贈与以外の原因で所有権移転の手続が行なわれているとの報告であつた。
(3) 中山誠は、まず本件土地について、原告から贈与税の申告がなされているか否かを調べたが、これは行なわれていなかつた。ついで、原告に果して本件土地を買受けるだけの資力があるかどうかの点を調べるため、過去五年間における原告の所得税の納付状況を調べたが、所得税の申告書の提出も行なわれていなかつた。また同様の目的で、原告の住民税の納付状況についての調査も行なつたが、納付額は年額僅か金四九〇〇円にすぎず、結局この方面からは原告の資力を認めることはできなかつた。
(4) ついで昭和三八年一〇月上旬か中旬頃、中山誠は、原告に来署を乞う電話を掛けたが、原告は不在であつて、留守の者に伝言を頼んだけれども、その後出署はなかつた。
(5) 一方、その頃、調査の結果、原告がフジ商事なる会社の社長であることが判明したので、右会社に電話したところ、支配人と称する藤本久一から、近いうちに出署するとの応答があり、その後しばらくして藤本久一が原告の代理の資格で来署し、本件土地はもともと原告の所有に属するものであり、昭和二三年頃から事情があつて天羽富子の名義にしておいたものを、本件の名義の書換えによつて、もとに戻したものにすぎない旨の申出でをした。中山誠は、これに対し、具体的な内容を調査するため、右の申出でにかかる事実を裏付けるような関係書類の提出方を求めると共に、再び、電話を通じて、原告本人に対して面会を申入れたところ、自宅で面会に応じる旨の回答を得た。
(6) 前記藤本久一の来署から約一週間の後、中山誠は原告宅を訪れ、はじめて原告本人と直接面接して事情を聴取した。原告の説明は、前記藤本久一の説明と同じく、本件土地は、昭和二三年頃、原告がその所有権を取得したものであるが、第三者に対する債務の関係上、富子名義にしたのであつて、これを昭和三六年に原告名義に戻したのが本件の移転登記であり、その対価の授受は全くなかつたというものであつた。中山誠はこれに対して、そのような事情ならば本件土地の名義を、昭和二三年に富子名義にした際、原告より富子に対して贈与があつたとみるべきであり、これを一〇年余り経つた現在において再び原告名義に戻し、これについて対価の支払いがないのであるから、贈与と認めらるべきであると自己の見解を述べたところ、これに対して原告は、弁護士に書類を頼んであるから後日提出する旨答えた。しかし、その後税務署側で催促したが何の書類の提出もなされなかつた。
(7) 一方、その頃中山誠は、天羽富子の住居地を管轄区域とする中野税務署に照会した結果、富子に対しては、本件土地の名義変更につき、譲渡所得税が課税されているが、同人からは異議の申立てはなされなかつたとの報告を受けた。
(8) 中山誠は、以上のような事実調査の結果、係長と相談のうえ、本件は、いわゆるみなし譲渡として課税すべきものであるとの見解をとり、その旨被告に対して報告した結果、本件処分がなされるに至つた。
右のような経過を辿つたことを認めることができるのである。
そこで、被告が右認定のごとき経過のもとに、富子から原告に対する昭和三六年五月四日付本件土地の所有権移転登記の真の登記原因を贈与と認定したことが、明白なかしであるかどうかを、前記観点から検討することにする。
先ず、被告は、昭和二三年九月から昭和三六年五月四日原告に対する本件土地の所有権移転登記がなされるまでは、その所有権は富子にあつたと認定しているのである。そして、前認定のとおり、本件土地の登記簿上、本件土地の分割前の土地は昭和二三年九月三日受付をもつて同年六月一〇日の売買により当時の所有名義人渡辺六郎から天羽富子、天野絹代の両名に所有権移転登記がなされ、ついで昭和二五年九月四日受付をもつて同日なされた共有物分割の結果、本件土地の部分が天羽富子の所有名義とされていること、次に昭和三六年五月四日付をもつて同年二月二四日売買により天羽富子から原告へ所有権移転登記がなされていることが明らかであり、この事実は権限ある国家機関の判断をまつまでもなく何人も一様に認定できることである。ところで、このような登記簿の記載がある場合には、反証がないかぎり、富子が本件土地の所有者であることを推定する登記の効力が存することはいうまでもない。そして、昭和二三年九月当時富子が原告の妻であつたこと(戸籍簿をみれば、何人も一様に判断できることである)とか、前記認定のように、富子は当時無職であつて原告の仕事を全く手伝わなかつたとか、渡辺六郎との売買契約は原告との間に行なわれ、原告が購入資金を出したものであるとかの事情があつたとしても(本件処分当時を基準として約一三年前にこのような事情があつたことを、権限ある国家機関の判断をまつまでもなく何人も一様に判断できるほど明らかであるといいうるか疑わしいが、かりに、その程度に明白に認識しうる事柄であるとしても、)これらの事情に基づいて何人が判断しても、一様に「本件土地が昭和二三年九月一三日以降もともと原告の所有であつて、ただ登記簿上でも天羽富子の名義を使用していたにすぎない」との認定に到達しうる程度に明らかなものであるとは到底断定することはできない。また、かえつて富子が当時原告の妻であつたことから、そのような事情がある場合でも、「原告が渡辺六郎から所有権を取得した後、妻富子の名義にして同人に贈与したものである。」という判断や、「はじめは富子の名義を借りるだけであつたが、その後になつて、富子に贈与する意思を表示したものである。」という判断に到達する可能性がないわけではない。このことは、富子が本件土地を一般の第三者に売却したような場合に、買受人において真の所有者が原告であることを知つていたと認めることは一般に困難なことであり、また、富子の所有名義のままで年月が経過し、原告について相続が開始したような場合に、取得当時の資金関係が立証されても、富子がその後における贈与を主張したとすれば、それが真実原告の所有で相続財産であることを認定することが甚だ困難となることを考えることにより、事態を一層明らかにすることができるであろう。これらの事情を考え合せると、被告が、昭和二三年九月富子が本件土地の所有権を取得し、かつ、昭和三六年四月までこれを保持していたと判断したことは決して明白な事実誤認のかしであると断定することはできないものというべきである。
従つて、昭和三六年四月三日付で富子から原告に対し売買による所有権移転登記がなされたこと(この事実も何人も一様に判断できることである。)は、反証のないかぎり、富子から原告に対し所有権の変動があつたことを推定せしめるものであり、この権利の変動に際して売買代金その他の対価の授受がなかつたことや富子と原告とがなお法律上婚姻関係を継続していることなどから、被告がこれを贈与と認定することは、必ずしも明白なかしに当るということはできない。この点について、原告は、富子とは昭和二八年以来事実上離婚して別居し、昭和三〇年頃犬伏央子を事実上の妻として迎えいれこれと同居しておるのであつて、このような間柄にあつた富子が右所有名義の移転に際して無資力、無財産であるのに、高額な本件土地を無償で原告に贈与するというがごときことは社会常識上も経験上も到底考えられないことであると主張するのである。原告が富子と別居し犬伏と同居していることは、何人もたやすく一様に判断できることからであるが、富子との離婚届が提出されず、法律上婚姻関係にある以上は、たとえ住民票に犬伏央子が未届の妻として記載されたからといつて原告と富子、犬伏央子との各身分関係や富子の資産状態や生活状態に関する事実は、必ずしも国家機関の判断をまつまでもなく、何人が判断してもほぼ同一の認定に到達しうるような明白なことがらとはいい難いが、かりに客観的に一見明白な事実に当るとしても、既述のように、富子が昭和二三年九月以降昭和三六年五月四日までの間に本件土地を取得し、かつ、その所有権を保持していたものと認定することが、ありえないことではなく、従つて明白なかしではないと認められる以上、夫である原告から贈与を受けたものを再び夫に返還する、即ち贈与するというようなことは、およそ社会常識に反し、経験上起りえないことがらであると断定することはできないのであつて、被告が昭和三六年五月四日富子から原告への贈与があつたと判断したことが、国家機関の判断をまつまでもなく、何人の判断によつてもほぼ同一の結論に到達しうる程度に明らかな事実の誤認であるということはできない。この点について、証人松永富子の証言(第一、二回)によれば、富子が原告と別居して昭和二八年から昭和三四年頃まで北海道札幌に移住していた際、原告からは毎月五、〇〇〇円づつの生活費の援助を受けていた事実が認められ、また富子はもと原告の兄信次の内縁の妻で実子慶一があり、信次の死後連子をして原告と婚姻したという前記認定のような特別な間柄にあつて、昭和三六年五月当時は離婚の届出はされておらず、戸籍上はなお婚姻関係にあつたことを考え合せると、たとえ別居して夫婦生活をしていないとはいえ法律上夫婦関係にある者の間で、妻たる富子から夫たる原告に対して本件土地を贈与することは社会常識上起りえないといい切ることはできないし、被告が、贈与と認定したことが明白なかしに当るものとは断定できないものというべきである。
なお、原告に対する本件課税処分がなされてから、原告は、被告に対して、富子が本件土地を贈与したものではなく、富子を所有名義とする登記が真実に反していたため真実の所有者である原告名義に回復するために登記手続をしたのにすぎないと申し立て、富子も同様中野税務署職員に対して同様の趣旨のことを主張したのであるが、いずれもその申立てをするだけで、前認定の経過をたどり、被告の要求に対しても、その裏付けとなる資料を提出しなかつたのである(なお本件土地の売主渡辺六郎の領収書は本訴提起後に甲第八号証として提出されている)。従つて、被告としては、処分時から十数年前に発生した本件土地の取得関係、十数年間にわたる本件土地についての原告と富子との権利関係、富子から原告への権利移転の関係や富子と原告との夫婦関係の実質等について、原告の申立てを信用するか信用しないかにかかつていたものというべきであるが、以上のような諸事情のもとで、被告が原告の申立てを採用して所有名義の単なる回復であると認定しないで贈与であると認定したからといつて、これをもつて明白なかしがあるものということはできない。
また、原告は、中野税務署長が富子に対し、本件土地の売買による譲渡所得税を課しているのに、被告が、同一事実を贈与と認定して、原告に対し本件贈与税を課したことは、処分を無効ならしめるものであると主張するけれども、前者の処分のかしが後者の処分の効力に影響を及ぼすものではなく、前者の処分と異なる判断をしたことが、後者の処分にとつて重大、かつ明白なかしを帯びさせるものとは認めがたく、その他、本件課税処分における被告の事実認定のかしが明白であることを根拠づける事実を認めるに足る証拠はない。
従つて、被告が昭和三六年五月四日付登記にかかる本件土地の所有権移転が富子から原告への贈与であると誤認したことは、本件課税処分にとつて重大なかしではあるが、処分の当初から客観的に存在する明白なかしに当るとはいえないのであつて、本件課税処分の無効原因とすることはできない。
四、さらに、原告は、かりに本件名義変更により、富子から原告に対して贈与が行なわれたものと認められることが、やむをえないものであつたとしても、本件土地上には原告及び訴外犬伏央子所有の建物が存在していたものであるから、土地の評価にあたり、借地権の設定されている土地として、更地の価額の八割を減ずべきであるのに、更地の評価によつた点において、本件処分は重大、かつ、明白なかしがあると主張する。
本件課税処分において、富子から原告に対する本件土地(二五六坪九合六勺)の贈与により取得した財産の価額が一、二二〇万五、六〇二円と評価されたうえ、贈与税額が六六二万一、〇八〇円と定められたことは、弁論の全趣旨から明らかである。一般に宅地の価額は通常の取引価額によつて評価すべく、また貸宅地等の価額は自用地の価額から地上権又は借地権等の価額を控除して評価すべきことはいうまでもないが、自用地について通常の取引価額を算定することはもとより、借地権や地上権があるかどうかの判断や、その権利の評価などのことは、評価者によつて差異を生ずるのが通例であつて、特段の事情がないかぎり、事柄の性質上何人が判断してもほぼ同一の結論に到達しうるような明白なものではなく、従つて、その誤りも権限ある国家機関の判断をまつてはじめて明白となるのが通例であるといつてよい。
そこで本件についてみるのに、成立に争いのない甲第九号証の一乃至五によれば、本件土地上には、次の建物が存する旨の登記がなされていることが明らかである。即ち、
(イ) (所有者原告)木造杉皮葺平家建居宅一三、五坪
昭和二五年一一月二二日原告の所有権保存登記がなされている。
(ロ) (所有者原告)木造瓦葺平家建工場 一六、六坪
昭和二五年一一月二二日原告の所有権保存登記がなされている。
(ハ) (所有者犬伏央子)木造瓦葺平家建居宅 二五、一四平方米
昭和三〇年八月三〇日新築の旨昭和三八年一一月二五日登記、同日付で犬伏央子の所有権保存登記がなされている。
(ニ) (所有者犬伏央子)木造瓦葺二階建共同住宅 一階二五、〇二平方米、二階三〇、一二平方米
昭和三五年一〇月二〇日新築の旨昭和三八年一一月二五日登記、同日付で犬伏央子に所有権保存登記がなされている。
(ホ) (所有者犬伏央子)木造亜鉛メツキ鋼板葺三階建店舗兼共同住宅 一階三九、二二平方米、二階四七、三二平方米、三階二二、七七平方米
昭和三六年八月一五日新築の旨昭和三八年一一月二五日登記、同日付で犬伏央子に所有権移転登記がなされている。
従つてこの事実よりすれば、本件土地上にこれらの建物が現存することを推定することができるが、このうち(ハ)、(ニ)、(ホ)の各建物は、富子から原告に対する本件名義変更の日である昭和三六年五月四日には、いずれも未登記であり、また(ホ)の建物はいまだ存在していなかつたのである。そして、証人中山誠(第一回)、雅楽興洲の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)を総合すると、被告は本件課税処分前の昭和三八年八月から一〇月までの間贈与税未済事案の一斉処理を実施し、被告側の職員中山誠はその間に原告方に調査に行つたことが認められるので、犬伏央子のための右各所有権保存登記は本件課税処分(昭和三八年一一月三〇日)の直前になされたことが明らかとなる。また証人雅楽興洲の証言によると本件処分当時中野税務署の大蔵事務官であつた雅楽興洲は本件土地の通常の取引価格を坪一〇万円前後と評価していたことが認められ、また、成立に争いのない乙第一〇号証によると、中野税務署の富子に対する昭和三七年一〇月頃の調査では本件土地の精通者見込価格は坪当り五万円と評価されていたことを認めることができる。
このように、本件土地の評価自体に幅があることがうかがえるのみならず、右の地上建物(イ)、(ロ)は原告の所有であり、(ハ)、(ニ)および(ホ)の建物は本件課税処分の直前に犬伏央子名義に所有権保存登記がなされているけれども、原告、富子、犬伏央子の間の前記認定のような特殊の身分関係からみると、昭和三六年五月四日当時本件土地の所有権移転に際して、右各地上建物のために借地権が認定されていたかどうか、またその評価がいくらであるかは、何人が認定してもほぼ同一の結論に達しうるほどに明らかな事実状態にあつたとは到底いい難い。従つてこのような事実状態においては、かりに被告が本件課税処分における課税標準の評価を誤つているとしても、それが明白なかしあるものとして、本件処分を無効ならしめるものということはできない。よつて原告の右主張もまた採用できない。
以上のとおりであるから、原告の本訴請求はいずれの点よりみてもその理由がないものといわなければならない。よつて、本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用したうえ、主文のとおり判決する。
(裁判官 緒方節郎 小木曾競 佐藤繁)